歴史

江戸時代は,都市の時代といわれ、戦国の時代が終わって山に造られた城は敵からの攻撃を退けるためのものでしたが、政治や経済活動のために便利で,交通が整っているところに造られるようになり、「城下町」ができたといいます。
城下町にはたくさんの人が住み、物資が集まり、海や川などに近接していました。
物流から見た都市形成の背景には,こういった事情があります。


荷物は宿場にある問屋が馬を使って継ぎ立てて運んでいましたが,公用優先なので民間の荷物は後回しでした。
船での物流は大坂~江戸間に難所の「熊野灘」があり,伊豆半島の下田から黒潮が大平洋に流れていました。


航海技術がまだ未発達だった江戸初期は,海流と風を動力にして動く船にとって東西の航海は簡単なものではありませんでした。
こういったことから江戸時代の都市は、消費生活を支える物資のほとんどを周辺地域から供給してまかなっていました。


遠隔地から輸送されるものもありましたが、地域の需給体制が経済の主体でした。
そこにあるもので済ませる生活が基本であり,物流が社会を作るというような発想は当時にはありませんでした。


加速する動き

戦争が終結したあとに施行された「大規模小売店舗法」(大店法、1974年)が許認可制度に代表されるように、一貫した中小商店の保護や振興を立場にしてきました。


その後は1989年からの「日米構造協議」が発足された事によって政策の転換が行われていました。
ですが市場経済と小規模の商業との調和は出来ず,「商店街の歯抜け現象」と言われ、商店などはどんどんとその数を減らしていきました。 


イオン・ダイエー連合,セブン&アイといった巨大小売業グループの出現は,小売り側がメーカーとの価格を決めるときに都合が良くなります。
巨大な購買力で仕入れ価格の引き下げが可能になれば店頭での値下げを通じて消費者から支持を得やすく,メーカーにとっては大きな脅威となります。
家電量販店業界やドラッグストア業界でもその動きが加速しています。